雑感

「読書は意味ない」という意見に一理あるなと思うようになった

アイキャッチ画像

「読書って意味あるの?」

「本を読んで効果があるのか知りたい」

「読書自体が嫌いなんだけど」

こんなふうに考えている人も結構いるかもしれません。

いざ「読書しよう!」と思うのは読書したら良いことがあると信じているからですよね。

しかし、今回の記事では読書は意味が少ないこと、むしろ読書しない方がいいという考え方を紹介していきます。

読書しろしろ攻撃

意識が高い大人たちって「読書した方がいい」「読書しないとだめだ」とやたらと読書をすすめてきますよね。

私も子供のころから学校の先生や周りの大人たちに読書をすすめられてきました。最近ではユーチューバーやインフルエンサー、ブロガーたちも読書するようにうながしてきます。「20代うちにやっておいた方がいいこと」みたいなタイトルの本や記事、動画で必ずと言っていいほど読書が入っていますね。

そして、時間を持て余した大学生は自己啓発本に手をだして、「本を読むことの大切さを理解した!」と勘違いするようになっていきます。私も多分に漏れず、むやみに本を読み漁っている時期がありました。

なぜ読書をしろと言うのか

ではなぜ、彼らは若者たちに読書をしろと言うんでしょうか?

ここには悪意はありません。言うなればポジショントークです。

読書を人にすすめる理由は「自分がやっていることは正しい」ということを主張することで、「自分は間違っていない」とより強く信じることができるからです。

意識の高い人が”先輩読書しろしろマン”から読書をするように言われて、読書をはじめます。

読書をすると、勉強してる感を強く感じることができます。これは意識高い系の欲求を満たしてくれると同時に、「読書してる俺は他の奴らとは違うぜ」という自己陶酔に浸らせてくれます。

そして、自分の行為を正当化するために人に読書をすすめるようになります。これで”読書しろしろマン”の完成です。

というか自分もこんな感じで一時期、読書しろしろマンになってしまっていました。

読書を人にすすめなくなった

読書しろしろマンになってしまった私ですが、とある時期から読書を人にすすめなくなりました。

読書こそ自分を成長させてくれると信じていた私は、いろんな分野の本を手当たり次第に読んでいました。そんな中で、ショーペンハウアーの「読書について」という本に出会いました。

読書はしないほうがいい?

19世紀ドイツの哲学者ショーペンハウアーの「読書について」は優れた古典としてかなり有名です。

そして、この本には「読書で成長できると信じている意識高い系」をちびらせるレベルの内容が書かれています。

ショーペンハウアーは”本を読むとバカになる”ということを言っています。その理由を以下に簡単に説明します。

読書をするということは他人が考えたことを頭に入れることです。これは自分で考えることをやめることに繋がります。本には著者の経験、知識、思考などがまとめられています。それを読んで自分のものにしようとすることは、他人に考えてもらって、自分で考えることをやめることです。

そもそも、自分と”他人”は性格、生まれ育った環境、積んできた経験などあらゆる点で違います。そんな、他人の考えを読んだだけでは、自分のものにはなりません。体に塗りたくった泥が乾いてはがれ落ちていくように、ただ読んだだけの知識や知恵は忘却の彼方に直行します。

意味のある思考を身につけるためには自分で考えることが大切です。本当に自分に合う思想は自分で作り上げていくしかありません。読書するということはそれをあきらめてしまうことになります。

この本を読んだときは衝撃的でした。自分のためだと思ってやっていたことは逆に自分をダメにしていたんだと気づきました。

自分で考える方が難しい

ショーペンハウアーの「読書について」を読んでから、考える時間を増やしました。

しかし、これは読書よりも難しいことだと気づきました。

読書はただ本を読んでいるだけで、勉強してる感を簡単に味わうことができます。しかし、空白のキャンパスに筆を入れることが難しいように、自分で考えることは難しいです。

私の場合は日常生活で疑問に思ったこと、感じたことを”思考の種”にしています。

”ググる”という言葉がほとんど誰にでも通じるようになったように、わからないことをGoogleで検索することは現代人の常識になっています。しかし、読書が良くない理由と同じように、ググることは自分で考えることをやめて、すぐに答えに飛びつくことです。

わからないことがあった場合は、まず考えて自分なりの答えを出します。そのあとにGoogle先生に聞くようにしています。こうすることで”自分で考える”機会をすこしでも増やすことができます。

読書は必要な分だけ

上に書いたように読書することにはデメリットがあるんですが、読書を全くしないほうがいいとは思いません。

多読すると、自分で考える暇がなくなってしまいます。そのため、必要な分だけ読書することが私が導き出した答えです。

知識をつけるため

知識をつけるために本を読むことは必要なことです。

網羅的にまとめられている本は知識を効率よくつけるのにとても便利です。仕事で必要な知識を手っ取り早く知ることができるツールとして本は最適です。

娯楽として

娯楽として読書をすることもありだと思います。

仕事の息抜きに小説を読んだり、興味がある分野の本を読むは、何か未来のために勉強しているわけではありません。その瞬間を楽しむ読書はとても良いものです。

凡人には読書が必要

また、凡人には読書が必要なものです。

ショーペンハウアーは「本に頼らずに、自分ですべてを考えて導き出せ」といいます。しかし、そんなことができるのは天才ぐらいだと思います。

例えば、相対性理論でその名を知られる物理学者のアルベルト・アインシュタインはほとんど読書をしなかったと言われています。物理学や数学の定理などを自分で考えて、光電効果や相対性理論を導き出した本当の天才です。

アインシュタインと並ぶほどの天才だと自覚している人に読書は必要ないかもしれません。しかし、私は自分が凡人であることを自覚しています。凡人がすべてを1から創造することは難しいです。やはり、先人の知恵をかりることで、さらに先を見渡すことができるのです。

しかし、本を読むことを目的としてはいけません。自分で考えるための道具として本を読むことでショーペンハウアーの言う読書の弊害をさけることができます。

いつか役に立つだろうと思うこと

一方で、やってはいけない読書があります。それはいつか役に立つかもしれないことに関する本を読むことです。

いつか役に立つかもしれない本を読んでもなにも身につかないからです。

例えば、大学生が起業する予定もないのに、自分で経理に関する本を読んだところで身につきません。読んだ後、一時的に知識はつきますが、実際に使わない知識は自分の身にならず、すぐに失われます。

このようにいつか役に立つかもしれないことのために本を読むことは、時間の無駄使いであり、自分で考えることをあきらめることに繋がります。

まとめ

今回は読書に対する私なりの考えとして、「意味はあるのか」「読書のデメリット」「読書するべきこと」などについてまとめました。

やっぱり、一番大切なことは自分で考えることです。読書で勉強した気になるのは楽ですが、本当の意味では自分をダメにしてしまいます。本はあくまで思考するための道具ととらえるのが良いと思います。

以上です。

-雑感